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甲府地方裁判所 昭和37年(わ)235号 判決 1963年3月28日

判   決

無職

川上三喜

(ほか十二名)

右被告人川上三喜、同小林専三、同渡辺嘉彦、同内藤陸郎に対する殺人未逐被告事件、被告人村田忠、同村田夏彦に対する兇器準備結集被告事件、被告人川上三喜、同小林専三、同渡辺嘉彦、同内藤陸郎、同石井実、同寺田康生、同瀬戸茂同寄藤剛、同平島精一、同氏家知也、同金沢理光、同鳥井光雄、同中村長一に対する兇器準備集合被告事件、被告人川上三喜、同渡辺嘉彦、同内藤陸郎、同瀬戸茂に対する銃砲刀剣類等所持取締法違反被告事件、被告人川上三喜、同内藤陸郎、同瀬戸茂に対する火薬類取締法違反被告事件ついて、当裁判所は検察官森高彦出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人川上三喜を懲役一二年に、被告人小林専三を懲役四年に、被告人渡辺嘉彦を懲役五年に、被告人内藤陸郎を懲役七年に、被告人村田忠、同村田夏彦を各懲役一年に、被告人石井実、同瀬戸茂を各懲役一〇月に、被告人金沢理光を懲役八月に被告人寺田康生、同寄藤剛、同平島精一、同鳥井光雄、同中村長一を各懲役六月に、被告人氏家知也を懲役四月に各処する。被告人氏家知也、同金沢理光に対し、いずれも本裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予する。押収にかかるサツク入挙銃一挺(昭和三七年押第六八号の五)は被告人川上三喜より、同仕込杖一振(押前同号の六)、あいくち一本(押前同号の八)は被告人内藤陸郎より、同小銃(サツク付)一挺(押前同号の一〇)、実包罐入り一四発(押前同号の一一)は被告人瀬戸茂より、いずれもこれを没収する。

訴訟費用中証人上原菊子に支給した分は被告人川上三喜同小林専三、同渡辺嘉彦、同内藤陸郎の連帯負担とし、その余は被告人らの連帯負担とする。

理由

(本件犯行にいたるまでの経緯)

一、被告人ら中、山梨県在住の小林、渡辺、内藤の各被告人を除くその余の被告人らは、横須賀市内に勢威のあるいわゆる遊徒石井一家に属する者で、被告人村田忠は安田正臣、大瀬賢一らとともに同一家の幹部たる地位にあり、被告人川上、同石井、同瀬戸、同金沢は右被告人村田忠の直属の配下で、被告人村田夏彦は被告人村田忠の弟分、被告人寺田は同石井の、被告人寄藤、同平島は被告人瀬戸の、被告人氏家は同川上の、被告人中村は前記大瀬賢一の各配下に属し、なお被告人村田忠、同川上、同村田夏彦、同石井、同平島は関東を中心とする周辺地域における有力な遊徒をもつて組織されている鶴政会の一員ででもある。右山梨県在住の被告人小林は看板業を営んでいるが、戦後数年間横須賀市に在住当時被告人川上の世話になつたことのある者、同被告人渡辺は被告人小林と幼時からの知合で親交の間柄、同被告人内藤は同渡辺、同小林と互に兄弟分の間柄にある者である。

二、被告人川上は、昭和三七年一〇月五日配下の千喜佐男らを伴い山梨県に来遊し、かねてより知合の被告人小林方を訪れ、同被告人の紹介で被告人渡辺、内藤とも知り合いになり、数日滞在して同被告人らの歓待を受けていたが、横須賀へ帰ることになつたので、同月八日の夜被告人小林、同渡辺および同内藤は、被告人川上およびその配下の千喜佐男、新倉康友らを甲府市内に案内し、錦町所在のキヤバレー「ムーラン」に遊び、同月九日午前〇時過ぎごろ、右ムーランを出たところ、たまたま附近路上に屯ろしていた同所附近をなわ張りとするやくざの加賀美一家の者らに因縁をつけられ、被告人渡辺は右加賀美配下の土屋重雄、小林清一らにより附近のカフエー「モン」の裏空地に連行され、顔面を頭突きされたりして傷害を負わせられたうえ、脇腹にあいくちを突きつけられるなどの脅迫をうけ、被告人川上も加賀美配下の梶原稔、山本稔らにより右モンの南側露地入口に連行されて顔面を殴打され、またはあいくちを突きつけられるなどの暴行脅迫をうけた。被告人渡辺、同内藤、ならびに千喜佐男、新倉康友らはその場からのがれたが、右新倉および千は突然の事態におどろき、かつ被告人川上がどこかに連れ去られたものと思いこみ、急遽甲府電報電話局に赴き、同局から横須賀市日の出町一丁目一四番地紅葉荘に電話をかけて同旅館に止宿中の被告人村田夏彦に被告人川上が前記被害をうけ、連れ去られた旨を告げ、仲間の来援を求めた。一方被告人川上は前記の暴行をうけたものの、被告人小林のとりなしでやがてその場から解放され、被告人小林とともに被告人内藤らを探すうちに、右新倉らに逢い、同人から横須賀の仲間に応援を頼んだ旨を聞き、横須賀から石井一家の者らが来援することを予見し、その到着前に加賀美一家の主幹者たる加賀美建設株式会社社長加賀美章(当三八年)に交渉し陳謝すればよし、さもなければ場合により殺傷ざたを引き起こしても事態を解決しようとして、被告人渡辺において自宅からかねて被告人内藤より預つていた仕込杖(昭和三七年押第六八号の六)を持ち出し、被告人内藤において自宅からあいくち(前同号の八)と、知合の雨宮道男方から同人所有の猟銃一挺(前同号の七)および実包一四発入り弾帯(前同号の一二および一三)を借り出して、右加賀美を求めて錦町地内等を探したが発見に至らず、横須賀より来援する一行の到着を待つうち午前八時過ぎころ横須賀市から被告人村田忠ら一行が到着し穴切町一三〇番地花文旅館こと小林善録方に右一行とともに集まることになつた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人村田夏彦は、昭和三七年一〇月九日午前〇時三〇分過ぎごろ、前記新倉康友から被告人川上が土地の愚連隊に暴行をうけたうえ連れ去られたので来援を頼む旨の電話連絡をうけるや、被告人村田忠にその旨を急報し、ここに同被告人両名は共謀のうえ、被告人川上を奪還のため、場合によりその相手方らを共同して殺傷すべく、被告人石井、同金沢、同中村らにその旨を伝え、同被告人らをして被告人寺田、同瀬戸、同平島、同寄藤、同氏家、同鳥井その他にその旨連絡させ、同被告人らほか数名を加えた十数名とともに自動車五台に分乗し相前後して横須賀を出発し、同日午前八時ごろ前記花文旅館に入つたところ、意外にも同所に被告人川上がいて前夜来の前記でき事の経過を説明したので、引き続き同事件解決のため、場合により右加賀美章ならびにその配下の者らを殺傷する目的で、同旅館に後記第二、第三のごとくあいくち等凶器の準備あることを知つて右十数名を待機させて同人らを集合せしめ、

第二、被告人石井、同寺田、同瀬戸、同寄藤、同平島、同氏家、同金沢、同鳥井および同中村は第一記載のごとくして、同日朝右花文旅館に、被告人川上の右事件解決のため、場合により加賀実一家の者らを共同して殺傷する目的をもつて、被告人瀬戸において小銃一挺(押前同号の一〇)および同実包(前同号の一一)を準備し、その余の右被告人らにおいてはあいくち等の凶器の準備あることを知つて各第一記載の者らとともに集合し、

第三、被告人川上、同小林、同渡辺および同内藤は同月九日朝前記の仕打をされた報復のため、前記加賀美章またはその配下に対し陳謝を求め、場合によつては同人らを共同して殺傷する目的をもつて、被告人川上において前記実包八発を装填する拳銃一挺(前同号の五)を、被告人渡辺において前記仕込杖一振(前同号の六)を、被告人内藤において前記あいくち一本(前同号の八)および猟銃一挺同実包(前同号の七、一二、一三)をそれぞれ準備し、被告人小林において右猟銃などの凶器の準備あることを知つて、第一掲記の者らとともに前記花文旅館に集合し、

第四、被告人川上、同小林、同渡辺および同内藤は右集合の席上で被告人村田忠らに対し、前夜の前記被害の経過を説明し、まず右被告人らにおいて直接事態の解決をはかり、横須賀から来援した被告人らは同旅館に待機することとなつたため、被告人川上、同小林、同渡辺および同内藤は前記加賀美章またはその配下に談判し、次第によつては同人らを殺傷するもやむなしと互にその意思を相通じて被告人川上において実包装填の前記拳銃を、被告人内藤において前記猟銃、同実包およびあいくちを各携帯し、同日午前九時過ぎごろ、ともに菅沼一郎の運転する乗用車に乗り、甲府市山田町七番地加賀美建設株式会社事務所前にいたり、附近路上で加賀美章を待ちうけ、同日午前一〇時ごろ同人が帰社したのを認めるや、被告人小林、渡辺、内藤は同所で待機して見張り、被告人川上において右事務所内に立入り、折柄事務所奥の社長席で入口に向い机に腰掛けて女事務員と用談中の加賀美章の前方約三米の距離に近づき「あんたが加賀美社長か」と尋ね、同人が「そうだ」と答えながら立上るや、やにわに前記所携の拳銃をとり出し、同人めがけて三発を連続発射し、さらに逃れる同人を追跡しその背後をねらつて五発を乱射し、よつて内五発を同人に命中せしめ、同人に全治まで約三月を要する下頸部、肩胛部、前胸部、腰脊部などの射創および結腸貫通創(これに基因する汎発性腹膜炎併発)を負わせたが殺害するに至らず、

第五、被告人川上は、法定の除外事由なく、同日前記花文旅館において銃砲である前記拳銃一挺(前同号の五)および火薬類である同拳銃実包八発を所持し、

第六、被告人渡辺は、法定の除外事由なく、同日同所附近において刀剣類である刃渡り約三八糎の前記仕込杖一振(前同号の六)を所持し、

第七、被告人内藤は、法定の除外事由なく、同日同所において銃砲である猟銃一挺(前同号の七)および刀剣類である刃渡り約一四糎のあいくち一本(前同号の八)ならびに火薬類である右猟銃実包一四発(前同号の一一)を所持し、

第八、被告人瀬戸は、法定の除外事由なく、同日同所附近において銃砲である小銃一挺(前同号の一〇)および火薬類である同小銃砲一四発(前同号の一三)を所持し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(累犯となる前科)<省略>

(弁護人の主張についての判断)

渡辺弁護人は、本件被告人川上らの判示第三の凶器準備集合罪と同第四の殺人未遂罪の関係につき、殺人目的の場合における凶器準備集合は実質上殺人の予備であるから、それが殺人行為にまで発展したときは殺人行為に吸収され別に右集合罪の成立なき旨を主張するので、この点につき判断する。

殺人目的の場合における凶器準備集合が実質的には殺人予備の面を含むこと弁護人主張の通りである。そして殺人予備が殺人行為に発展したとき、前者が後者に吸収され、殺人予備罪の規定の適用が排除されるものであることは異論のないところである。しかし右の凶器準備集合罪の保護法益は、個人の生命の危険に対するものだけではなく、公共的な社会生活の平穏をも含むものというべきで、殺人予備罪とはその保護法益を異にする。したがつて凶器準備集合の段階においては、両罪が成立し、両者は想像的競合の関係に立つものと解すべきであるが、これが殺人行為に発展した場合には、殺人予備の点は前述のごとく殺人罪(未遂を含む)に吸収されるも、凶器準備集合罪までこれに吸収されると解することはできないから、弁護人の右主張は理由なきものというべきである。そこで進んで右の場合右凶器準備集合罪と殺人罪とはいかなる関係に立つかについて考えるに、殺人目的の場合の兇器準備集合罪にあつては、この目的は同罪のいわゆる主観的構成要件要素であつて、殺人行為に発展したときはとりもなおさずこの目的の実現にほかならず、これを逆に見れば凶器準備集合は殺人罪の手段というべきで、両者の間には手段結果の関係があり、しかもこの関係は通常ありうる性質のもの、すなわち経験上の類型的なものであるとみるのが妥当であるから、右両者は牽連犯と解するを相当とする。

(法令の適用)

法律に照すに、被告人村田夏彦同村田忠の判示第一の所為は各刑法第二〇八条の二第二項第六〇条に、その余の被告人らの判示第二、第三の各所為は各同法同条の二第一項罰金等臨時措置法第二条第三条に、被告人川上、同小林、同渡辺、同内藤の判示第四の所為は各刑法第二〇三条第一九九条第六〇条に、被告人川上の判示第五、同内藤の同第七、同瀬戸の同第八の各所為のうち銃砲刀剣所持の点および被告人渡辺の判示第六の所為はいずれも銃砲刀類等所持取締法第三一条第一号第三条第一項に、被告人川上の判示第五、同内藤の同七、同瀬戸の同第八の各所為のうち火薬類所持の点は火薬類取締法第五九条第二号第二一条に各該当するところ、判示第二、第五ないし第八の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し被告人川上、同小林、同渡辺、同内藤の判示第三の凶器準備集合罪と判示第四の殺人未遂罪とは手段結果の関係があるから刑法第五四条第一項後段第一〇条により、いずれも重い殺人未遂罪の刑に従いその所定刑中各有期懲役刑を選択し、被告人小林についてはその所定刑期の範囲内で、被告人川上についてはこれと判示第五の罪、被告人渡辺についてはこれと判示第六の罪、被告人内藤についてはこれと判示第七の罪とそれぞれ同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文および但書、第一〇条、第一四条(本条は被告人渡辺につき除外)を適用しいずれも最も重い殺人未遂罪の刑に併合加重をした刑期の範囲内で、被告人瀬戸については、右は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条により最も重い判示第八の銃砲刀剣類等所持取締法違反の罪の刑に併合加重をした刑期範囲内で、被告人寄藤、同平島、同中村については前示前科があるので刑法第五六条第一項第五七条により各累犯の加重をした刑期範囲内で、被告人川上を懲役一二年に、被告人小林を懲役四年に、被告人渡辺を懲役五年に、被告人内藤を懲役七年に、被告人村田忠、同村田夏彦を各懲役一年に、被告人石井、同瀬戸を各懲役一〇月に、被告人金沢を懲役八月に、被告人寺田、同寄藤、同平島、同鳥井、同中村を各懲役六月に、被告人氏家を懲役四月に処し、被告人氏家、同金沢に対し同法等二五条第一項を適用していずれも本裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予し、押収にかかるサツク入拳銃一挺(昭和三七年押第六八号の五)は被告人川上の、同あいくち一本(前同号の八)は被告人内藤の各判示第四の、各犯罪行為に供し、または供せんとした物であり、同小銃(サツク附)一挺(前同号の一〇)、実包罐入り一四発(前同号の一一)は被告人瀬戸の判示第八の、同仕込杖一振(前同号の六)は被告人渡辺の判示第三の各犯罪行為の組成物件で、以上はいずれも犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第一号第二号第二項により右各被告人から(ただし右仕込杖は共犯者たる被告人内藤の所有物であるから同被告人から)これを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を各適用して証人上原菊子に支給した分は被告人川上、同小林、同渡辺、同内藤の連帯負担とし、その余は被告人らの連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三八年三月二八日

甲府地方裁判所刑事部

裁判長裁判官 降 矢   艮

裁判官 西 村 康 長

裁判官 石 原   寛

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